曹洞宗龍吟山
海雲寺
品川の千躰荒神は江戸時代から竈の神様、台所の守護神として多くの人々から信仰されてまいりました。
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烏瑟娑摩明王
(うすさまみょうおう)
烏瑟娑摩明王は、密教における明王の一尊です。
「烏枢瑟摩」「烏蒭沙摩」「烏枢沙摩」とも表記されます。
真言宗・天台宗・禅宗・日蓮宗などの諸宗派で信仰されます。台密では五大明王の一尊です。
日蓮宗では「烏蒭沙摩明王」の表記を用い、
火神・厠の神
として信仰されます。
烏瑟娑摩明王は「この世の一切の汚れを焼き尽くす」功徳を持ち、仏教に包括された後も
「烈火で不浄を清浄と化す」
神力を持つことから、心の浄化はもとより日々の生活のあらゆる現実的な不浄を清める功徳があるとする、幅広い解釈によってあらゆる層の人々に信仰されてきた火の仏です。
意訳から
「不浄潔金剛」
や
「火頭金剛」
とも呼ばれました。
平蔵地蔵
江戸末期の頃、鈴ケ森処刑場(おしおきば)で番人をしていた乞食の中に正直な乞食がいて、大金を拾い、落とし主を探して届けました。
そのために仲間の乞食から、山分けをすれば乞食も廃業ができたのにと、小屋を追い出されて凍死してしまいました。
これを聞いた落し主が手厚く葬り、地蔵尊を立て供養しました。
その地蔵尊が当寺境内の入り口に立っています。
「ぼろは着てても心は錦」
お参りの人が絶えません。
えんの行者
(役行者)
役行者は、鬼神を使役できるほどの法力を持っていたといわれ、左右に前鬼と後鬼を従えた図像が有名です。
ある時、葛木山と金峯山の間に石橋を架けようと思い立ち、諸国の神々を動員してこれを実現しようとしました。
しかし、葛木山にいる神「一言主」は、自らの醜悪な姿を気にして夜間しか働きませんでした。
そこで役行者は一言主を神であるにも関わらず、折檻して責め立てました。
すると、それに耐えかねた一言主は、天皇に役行者が謀叛を企んでいると讒訴したため、役行者は彼の母親を人質にした朝廷によって捕縛され、伊豆大島へと流刑になりました。
橘右近の筆塚
橘右近(たちばなうこん)1903.11.18〜1995.7.3
家業は庭師だったが継がず、最初は浪曲の吉川小龍の門で龍馬を名乗る。
1922年 - 18歳の時に柳家さくら(後の3代目柳家つばめ)に入門。
柳家龍馬で初高座。
寄席のビラ字
(現代風に言えば寄席宣伝ポスターの文字)は江戸期から専門の職人が書いていたが、寄席の軒数が減少すると次第に職人がいなくなってしまった。
やむなく各寄席で間に合わせ的に書くようになったが、専門職ではないため統一した様式は失われていきました。
橘右近は落語家時代から寄席にまつわる物を収集しており、
『ビラ辰』
などのビラ字を教えを乞う師匠がいない状態から見よう見まねで書き始め、自身のスタイルを確立していきました。
力石
(ちからいし)
いつの頃からか、この力石は海雲寺の境内にあり、若者達の力競べに大正の中頃まで使われていました。
当時、門前には大勢の漁師や親船から積荷を小舟に移し取る「瀬取(沖仲仕)」がいて、この石を何回持ち上げられるか、門と本堂の間を何回持って歩けるかと競ったそうです。
力尽きて放り出し、大地に落ちるときのドスンという鈍い音は、騒音のなかった当時、静けさを破る心地よい響きだったそうです。
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